特別講演要旨

【特別講演1】3月18日 13:15-14:45

身体慣用句/身体隠喩の資源目録と日常談話におけるその用例

–––南部アフリカ狩猟採集民グイの社会生活から–––

菅原 和孝 (京都大学名誉教授)

身体に言及する隠喩は世界認識の基底を照らす光源である。カラハリ狩猟採集民グイG|uiの談話資料に依拠し、身体慣用句body idiomを素描したのちに、身体隠喩body metaphorの資源目録inventoryとその用法を分析する。メルロ=ポンティが提起した身体図式corporeal schemaは環境世界へ向かう志向性の束であり、行動の構造を通じて観察可能である。同時に、主体は自らの五官と情動を通して身体性を経験の内部から生きる。後者の位相を体性図式somatic schemaとよぶ。仮説A:身体隠喩は身体図式と環境とのあいだの換喩的な関係に基づいている。仮説B:体内器官や心理/生理過程に言及する身体隠喩は普遍的な体性図式によって動機づけられている。もしも、A&Bが成立するなら、グイのあらゆる身体隠喩は私たちにとって直観的に理解可能であろう。双方の仮説を支持する証拠と反例とを挙げ、身体隠喩が異なる生活形式を隔てる溝を埋める橋頭堡になりうることを論じる。

【講演者プロフィール】

菅原和孝(すがわら かずよし)専門は人類学。京都大学名誉教授。霊長類(ニホンザルとヒヒ)の社会行動の研究から出発し、1982年にカラハリ砂漠に住む狩猟採集民ブッシュマン(グイとガナ)の民族誌的な研究に転じた。モーリス・メルロー=ポンティが提唱した「現象学的実証主義」に傾倒し、身体接触、対面相互行為、日常会話、生活史の語り、身ぶり、動物へ向ける認識と実践などを主題に探究を続けてきた。並行して日本人の日常会話における発話と動作の連関を分析した。1999年より静岡県水窪町(現・浜松市)にて重要無形民俗文化財「西浦の田楽」を調査し、身体技法の伝承過程について考察した。1973年 京都大学理学部卒。1980年 同大学院理学研究科博士課程単位取得退学。同年 北海道大学文学部助手。1981年 京都大学理学博士。1988年 京都大学教養部助教授。1997年 同総合人間学部教授。2003年 同大学院人間・環境学研究科教授。2013年 第8回日本文化人類学会賞受賞。2015年3月定年退職。

主な著書・編著

『身体の人類学––カラハリ狩猟採集民グウィの日常行動』(河出書房新社,1993)

『コミュニケーションとしての身体(叢書・身体と文化②)』(共編著, 大修館書店, 1996)

『語る身体の民族誌––ブッシュマンの生活世界I』(京都大学学術出版会,1998)

『会話の人類学––ブッシュマンの生活世界II』(京都大学学術出版会,1998)

『もし、みんながブッシュマンだったら』(福音館書店,1999)

『感情の猿=人』(弘文堂,2002)

『ブッシュマンとして生きる』(中央公論新社,2004)

『フィールドワークへの挑戦』(編著、世界思想社,2006)

『身体資源の共有』(編著、弘文堂,2007)

『ことばと身体––「言語の手前」の人類学』(講談社,2010)

『身体化の人類学―認知・記憶・言語・他者』(編著, 世界思想社,2013)

『狩り狩られる経験の現象学––ブッシュマンの感応と変身』(京都大学学術出版会,2015)

『動物の境界––現象学から展成の自然誌へ』(弘文堂, 2017)

鳥羽 森の筆名でSF小説『密閉都市のトリニティ』(講談社, 2010)


【特別講演2】3月19日10:00-11:30

高次不変項:知覚されるメタファー 

三嶋博之(早稲田大学)

【特別講演3】3月19日 13:15-14:45

知覚に先んじるメタファー:

ガストン・バシュラールの物質的想像力

河野 哲也(立教大学)

「想像力の第一の機能は動物の形態をつくることである」。こうガストン・バシュラールが述べるとき、たんに空想のなかで動物の身体をイメージするという話にとどまらない。バシュラールによれば、詩的なメタファーを生み出す力(物質的想像力)とは、本当に身体器官を生みだす力と同一のものなのだ。それゆえに、メタファーの機能である開示の機能がうまく働かなくなると、知覚そのものが鈍磨状態になる。わたしたちに世界がはじめて開示されるのは、知覚によってではなく、想像力によってなのである。想像力はいったん知覚された対象を再現する働き(サルトル)でもなければ、断片的な諸印象を融合する作用(ヒューム)でもなく、感性と悟性を架橋する総合作用(カント)でもない。それは、あらゆる思考作用はもちろん、知覚よりも古層に位置する身体を形成する生態学的機能そのものなのである。これはもっともラディカルなメタファー論であり、想像力論である。