08陪審制度

昨今、裁判員制度が話題になっているが、日本では陪審制度が採用された時期(1928-43)もあった。

現行の裁判所法は、「この法律の規定は、刑事について、別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない」と規定している。これを休眠状態にあると表現する人もいる。

陪審制度とは市民の中から無作為に選ばれた陪審員が刑事訴訟や民事訴訟の審理に参加する制度をいう。

裁判員制度との違いは、裁判官が評議に加わらない点である。 日本では、美濃部達吉が陪審制度の採用は明治憲法24条に違反すると反対していたが、結局修正のうちに成立した。日本の陪審は12名で、30歳以上の男子、直接国税3円以上を納付しており、評議に参加できる読み書きができるという要件があった。

戦況の悪化によって停止されることになるまで陪審裁判は初めて大分地裁で行われた。その後15年間で484件が実施され、無罪答申が81件で、無罪率は17%ほどであった。

検察官審査制度は、1948年に始まった。検察審査制度とは、検察官の不起訴処分が妥当かどうか、11人の市民が審査する制度をいう。

アメリカの統治下においては、戦後沖縄にて陪審裁判が行われていた。陪審員にはアメリカ人だけでなく日本人も参加していた。

このことは「憲法I 人権」の「逆転事件」で勉強する。逆転の執筆者は、日本人の名誉を回復するために小説「逆転」を執筆したと主張していた。

(2008年度同志社大学ゼミ生と立命館大学衣笠キャンパスに見学に行った際に撮影)