情報法とは目新しい学問ではない

「情報法は決して目新しい学問ではない」

インターネットやiphone、 ガラパゴス携帯は、すさまじいスピードで進化しています。このような発達によって、新たな法制度を組みなおすべきでしょうか?

情報が自由に流通していることは私たちの生活に大事なことです。自由に流通している情報の中で、私たちは情報の真偽を定め、自分の価値を探り、人生の意味を問うのです。日本国憲法21条は、自由な情報流通を保障しています。もちろん他人の名誉やプライバシーを侵害するような情報は一定の責任を負うべきです。

携帯のモバゲー、ドラゴンクエストのすれ違い通信、ネットゲーム、Mixi、Facebook、Twitterなど新しい情報流通の技術の進歩は私たちを将来、きらびやかな世界にいざなってくれそうです。しかし、情報流通の発展は今に限った事ではありません。きらびやかさに目を奪われると、原理論への問いかけや規範定立がおろそかになってしまいます。

私たちは、「なぜ自由な情報流通が保障されなければならないのか?」「どうして表現の自由が尊重されなければならないのか?」をまず問うべきなのです。

自由な情報流通の手段が加速度的に多様化している現代、制度そのものが変動期にある今、新しい法制度の肖像を描くには、制度が守るべき権利を十分に議論したうえで学習能力のある柔軟な設計図が必要となるでしょう。守られるべき表現の自由、通信の自由とは何か。その問いかけが将来の情報流通の規制構造と望ましい制度を決定するのです。これが情報法です。

情報流通に限らず、社会は常に大きな変動を経験してきました。馬車から自動車、ライト兄弟の飛行機からジェット機へ、大量生産できる機械が登場し、社会の変動に応じて法制度も見直され、修正したり、老朽化したものは廃棄されたりしてきました。

現在、サイバースペースの登場によって、伝統的な法学は従来の法理論を廃棄して新しいルールが必要か、それとも修正が必要か、という争点を浮上させています。

変転するネットの世界では熟練した法律家でさえ、正反対の答えを出す可能性もあります。そもそも現実世界とインターネットを分離することなど不可能なのかもしれません。携帯電話のように現実世界でも常にネットの恩恵を受けています。

新しいものを見て、既存の法制度を見直す。情報法は目新しい流行を追いかける学問では有りません。