[秋の球宴・日本シリーズ]

白石昌則×さわいようこ 歳時記コラム秋の球宴・日本シリーズText by Masanori Shiraishi Illustration by Yoko Sawai

例年10月下旬から11月にかけて、プロ野球ではセ・パ両リーグの覇者が相まみえ、その年の頂点となるべく激突する「日本シリーズ」が開催されます。

自分が初めてプロ野球に興味を抱いたのが小学1年の頃、巨人軍の王貞治選手がアメリカの伝説的名選手・ベーブ・ルースの本塁打記録を更新し、世間を賑わせていたときでした。生意気にもスポーツ面目当てで新聞に目を通すようになりました。とは言え、当時の自分はテレビ中継で毎試合放映される巨人軍ではなく、広島カープのファンになったのです。

憧れのスター・西城秀樹が広島出身だから、という単純な理由でした。

初めてプロ野球という世界を知った年の広島カープの順位は3位、その上はといえば優勝が巨人・2位に阪神。6球団中3位という位置に、これからの展望を期待せずにはいられませんでした。

ただこの時、子供心ながら大きな、かつ失礼な誤解をしておりました。仮面ライダーやゴレンジャー等の勧善懲悪ヒーロー番組に毎回心踊らされながら、これはあくまでもテレビ=仮想現実だということを既に理解している冷めたこの子供は、スポーツ界も同じであると思ってしまっていたのです。 例えば「王貞治」という名前は、芸名だと勝手に認識していました。ホームラン王だから、王。西城秀樹というイカした響きのスターが、実は本名が木本龍雄であるかのごとく、王選手の本名が実際には山田なのか佐藤なのか、という感覚でした。

そして王選手が先述の本塁打記録の翌年、世界記録を更新する756本目を放った際、実況が興奮気味に「ホームラン!何しろホームラン!」と叫んでいるのをブラウン管越しに見ながら、感動的な良い「番組」だなあ、としみじみしたものです。 ただ、いわゆる八百長だのショーだの、そういった否定的な概念は持ち合わせていませんでした。 スポーツの上手な人たちが出世するとプロになり、テレビや新聞に出られるような選手になり、主役を任されるようになる。ファンや視聴者はそのヒーロー番組をワクワクしながら観戦する、その舞台に立てるように頑張るという世界なのだと誤認していたのです。実際には真剣勝負につき、選手にしてみればかえすがえすも失礼極まりない話ですが、子供の浅はかな思考としてご容赦下さい。

数年前3位という良い位置につけていた広島が1979年に優勝し、この試合に勝てば日本シリーズも制するという試合。最終回1点リードでありながらノーアウト満塁、絶体絶命のピンチを迎えた場面。そのテレビ中継を一緒に見ていた同じクラスの友達の久米君が広島ファンの自分を、これはもう近鉄優勝だろ、とからかっていました。確かにハラハラはしていましたが、「いや、これは広島が勝つ“番組”のはずだ。だってピッチャー、まだ江夏だし。」と確信もしていました。江夏選手がこの年の、そしてこの番組の主役、カラータイマーが点滅しているウルトラマンの逆襲はここから、これは見逃すまい、と。

結果は見事その通りの展開、広島優勝。歓喜の輪。久米君もさすがに「良いものを見た」と言わざるを得ませんでした。見る人が勝手にどう思っているかにかかわらず、この当時のプロ野球、確かに夢のようなものを与えてくれていました。

そして日本シリーズが終わると、小学生の僕らは思い出したように遅い衣替え。半袖半スボンはちょっとしばれるね、と思い出させてくれる秋の風物詩でした。

(冬に続きます)