[春は出会いと別れの季節]

白石昌則×さわいようこ 歳時記コラム春は出会いと別れの季節Text by Masanori Shiraishi Illustration by Yoko Sawai

春は出会いと別れの季節、と耳にすることがしばしばあります。進級や進学、または新社会人となる門出、その他「新生活」という言葉も、年次が新たとなる4月がイメージされます。反面例えば「卒業」という言葉は、その前月の3月を連想させます。つまり時候上の順番としては、「出会い」の前に「別れ」が訪れます。

人生における出来事としてそれほど大きいものではないはずの進級による「クラス替え」は、小中学生当時には大層な別れのイベントでした。仲良くなった友人達との惜別、お世話になった担任への恩義、そして何より、気になるあの子への慕情。

現代ではどうかはわかりませんが、少なくとも自分が小中学生だった時分、いわゆるカップルというものはほとんど存在していませんでした。とは言え幼いながらも男と女、幼いながらも互いに良い感じになったとしても、それを他者に察知されたが最後、クラスを挙げた怒涛の冷やかしが彼等を襲い、潰されてしまうことがスタンダードだったのです。

この波に立ち向かうことができないと、二人の関係はわけもなく気まずくなり、普通の会話すら困難となります。大人から見れば何でもないことですが、これを克服することは子ども自身としては結構タフです。この状況に陥らぬよう、察知されない程度に仲良くし、結局は大半の子が、相手に自分の気持ちを伝えられないままクラス替えを迎えてしまうのです。

ただ、転機はあります。バレンタインデーです。しかしどうでしょう。一部を除きこれもほとんどの男子は、意中の子から貰えなかったのではないでしょうか。自分の場合、小中学生の9年間のうち、たったの一度でした。しかもその一度、下校時下足入れ付近の受け渡し現場にて、先述の「怒涛の冷やかし」が他のクラスをも巻き込み大きな渦となり、その渦に巻き込まれた自分は、その日以降相手の子とほとんど言葉を交わせなくなってしまう結末でした。

また、ごくたまに全く予想外の子から貰った年においては、それまで全く意識していなかったにもかかわらず、いとも簡単に気持ちが意中の子からシフトチェンジしてしまう浅はかさでした。

結局、成熟していなかったのだという事に尽きます。たかが冷やかし程度で折れる気持ち、予想外の告白に揺らぐというよりはすり代わる気持ち。そしてその波風にさらされない時は、自ら波を起こそうとはしない気持ち。

しかし、そんなに深刻に考えることではありません。何故ならおおむね「出会い」の4月に、つまりクラス替えのたびに、「好きな子」が変わるからです。ぶっちゃけ、きっとみんなそうではないでしょうか。

何と申しますか、この「好き」という気持ちのとことんなまでの軽さ・未熟さ。小中学生の文化として大いに支持したい所存です。

(夏に続きます)