[愛と恐怖のみかん伝承]
白石昌則×さわいようこ 歳時記コラム愛と恐怖のみかん伝承Text by Masanori Shiraishi Illustration by Yoko Sawai
この季節、みかんが美味しいですね。ひとつ食べるとついつい手が伸び、うっかり食べ過ぎてしまいます。
幼少の頃からみかん好きであった自分や弟はこれの繰り返しにより、夕食時に箸が進まなくなってしまうこともしばしばありました。見かねた母が、我々に「みかんのかぞえ唄」をつぶやきました。
一つ、二つは良いけれど
三つ、みかんを食べすぎて
四つ、夜中に腹こわし
五つ、いつものお医者さん
六つ、むこうの看護婦さん
七つ、なかなか治らない
八つ、やっぱり治らない
九つ、今夜が峠です
十で、とうとうご臨終
怖いですね。禁断の果実どころではありません。ここで申すまでもないですが、実際にみかんを10個食べたとしても、決して致死量ではありません。みかん農家の方が真に受けてしまったら、それこそ顔をオレンジ色にして激高されるかもしれませんね。むしろみかんは、風邪の予防に良いと言われる健康促進的な果物です。
しかしながらこのかぞえ唄、子供には絶大なる効果を発揮。それまでコタツの上に個数制限の上置かれていたみかんがたとえ無尽蔵のごとく積まれていたとしても、3つめ、4つめに手を出せなくなっていたのです。特に弟は、まだ当時4,5才だったこともあり、たまたま腹を下せばみかんのせいだと決め込むこともありました。またある日は、自分がおもむろにみかんに手を伸ばすのを見て「兄ちゃん、大丈夫?それ4個目じゃない?」と本気で心配され、たしなめられたこともありました。更には、ご近所さんが盲腸で入院したと聞けば「みかんを5個食べたからではないか、もし8個、9個だったら大変じゃないか、そんなこと大人ならわかっているはずなのに、なんで食べ過ぎちゃったのだろう」と本気で懸念したり、彼にとって、とかくみかんが魔物のような存在と化してしまったのです。そんな弟の愚直さを笑いながら、実は私自身も、決して5個目には手を出さないという周到さをもきちんと兼ね備えていたものでした。
あれから何年の時が経ったでしょうか。みかんを好き放題食しても咎められない状況下においては、自らを抑制することが容易だとわかったとき、大人になったもの寂しさを感じてしまうのを禁じ得ません。また、みかんの食べ過ぎで本当に困る事は、爪の間に入った筋で指先が黄色くなってしまうことと、食後のたばこが極めて美味しくないということなのであると、これもまた、大人になってからわかりました。