[「24時間テレビ」を観ると]

白石昌則×さわいようこ 歳時記コラム「24時間テレビ」を観るとText by Masanori Shiraishi Illustration by Yoko Sawai

なんだか胸が切なくなったものです。

学生の頃与えられる夏休みは約6週間、これほどの長い休暇は社会に出てしまった今ではおよそ考えられない羨ましい事態ですが、子どもの当時は当たり前のように思っていました。その夏休み中、我が家が長い期間家族旅行に出かけることはほとんど無かったものの、ほぼ毎日クラスの友達と何かをして遊んでいました。昼間はプールに行ったりドロ警や野球ごっこをしたり、夜は花火したりと他愛の無いものですが、本当に心の底から楽しかったと記憶しています。その他夏の身近なイベントといえば、各町内会主催のお祭り。神輿担ぎや盆踊りには目もくれず、ひたすら縁日の出店にロックオンされていました。

私の地元昭島市では夏休み中、更に規模の大きいお祭りである市主催の「くじら祭り」が毎年盛大に執り行われ、パレードが自宅近くの道路をねり歩き、その道沿いには沢山の見物客が人垣をなしていました。このくじら祭り、何でも100万年以上も前のくじらの化石が昭島市で発見されたことを祝う祭典との事。子どもの自分はあまりその事については考えず、ひとまずこのパレードは見ておかないと(特に知り合いが出ているわけではなかったのですが)、という群集心理にどっぷり飲み込まれておりました。

パレードが行き過ぎ、「今年も見たぞ」という達成感に浸りつつ家に戻ってテレビを点けると、決まって4チャンネルの日本テレビにて24時間テレビが放映されていました。くじら祭りと24時間テレビ、この両者は私が小中学生の頃、8月の第3もしくは第4日曜日、毎年同じ日に開催されていたのです。画面の黄色いTシャツが目に飛び込んでくるたびに気付かされ思い知らされるのは、「あと1週間くらいで夏休みが終わるのか」ということでした。今年もいろいろあって楽しかったじゃないか、と夏休み初日からさっき見たばかりのパレードまでを回顧しつつ、残り短い1週間をまたどう過ごそうか、何かやりきっていないことはないか、という焦燥感と惜別感が込み上げてくるのを禁じ得ない日。それが自分にとっての、24時間テレビの日でした。

子どもの自分が1つのテレビ番組にて気付かされることがあるのと同様に、親の母もまた、それを見てふと思い出すことがあるようでした。

「ところで宿題って、何も出ていないの?」

何も言えなくて・・・夏。

(秋に続きます)