1-4 本牧の歴史

 1-4 本牧の歴史

本牧の地形は、丘と谷戸が入り組んだ地形です。また、八聖殿から間門までの丘には切り立った4つの大きな崖があります。丘と谷戸が入り組んだこの地形は横浜の諸地域に見られる特徴ですが、これらは約2万年前と6千年前に起きた地球の気候変動が関係していると考えてられています。


江戸時代、葛飾北斎が描いた神奈川沖浪裏が描かれた場所については諸説あげられていますが、本牧の海から描いたものという説も多いです。


幕末ペリーが2度目の来航の時、本牧沿岸を警備したのが鳥取藩です。本牧には今も鳥取藩家老らが滞在した屋敷の井戸、使用人の墓が残されています。


第二次世界大戦では、横浜でも大規模な空襲があり、本牧も多くの地域が戦災に見舞われました。戦後、本牧の広い地域が昭和21年から昭和57年まで米軍の接収地となり、在日米軍の家族が生活する地域となりました。変換された接収地は、現在では住宅地や市民の憩いの場となっています。


縄文海進

富嶽三十六景神奈川沖浪裏

黒船来航画巻嘉永7年