人が人である問題点



人が人である、最大の問題点


人が人である、問題とは

生きているコトを、忘れることが

できないと云うところにあります。

生きていることを、忘れるなんて

コトは、ないだろうと思われるかも

しれませんが、

人は生きていることを

片時も忘れられないからこそ、

生きることの漠たる不安と

ひとりである寂しさをいつも

感じているのです。

生き物は、生きてある事を

忘れつつ生きています。

生きること、そのものを

表出しつつ、生きるという

勢いそのものに素直である

ので、そこにズレがないのです。

ズレがないというのは、

生きていることを忘れつつ、

生、そのものとして世界に

存在しているということです。

人は、生きることそのものと

して、世界に存在する事が

できません。

生きることそのものとして、

存在出来ない事が、

「私」という意識を生んだの

です。

「私」というのは、ズレそのもの

を指すのです。

それでも、人の実体はズレに

あるのでなく、生きる勢いそのもの

である身体と、意識の下に広大に

広がる無意識の中に在ります。

身体と無意識の繋がりは、

人が生きている事の実体です。

この身体と無意識の総体は、

「私」にとっては、何だか訳の

わからない暗闇のようなものです。

広大に広がる漠とした、掴みどころ

のない闇なのです。

僅かに、意識的に動く時に

その筋肉の伸びや張り、

可動域の限界を感じながら、

私達は「からだ」を感覚できます。

あるいは、痛い、ダルい、痒い、

などの違和感からも、

「からだ」を感覚するのです。

けれど、これらの感覚は

身体の中で行き交う感覚の

ごくごく一部でしかありません。

生命のズレである「私」という

意識を、私達はどうやって

裏返しにして、からだ側から

見つけ出せるのでしょうか、、?

日本の療術、体術を継承する

「野口整体」は、この

からだ側からの「私」を

見つけ出す優れた道案内と

なるものです。