菅谷直子

山川菊栄、田中寿美子とともに懇話会の創立者の一人。山川のもとで、日本社会党婦人部(左派)との協力において、月刊誌『婦人のこえ』(1953~1961年)の編集をしていた。同誌の廃刊後、準備された婦人問題懇話会設立を支え、また、そののち1983年まで21年間、事務局長を務めながら、会報の編集実務にも携わった。
山川菊栄の研究者として『不屈の女性―山川菊栄の後半生』の著作がある。山川菊栄記念会の初代代表でもあった。
2005年に『婦人のこえ』総目次を含む『来しかたに想う―山川菊栄と出会って』が佐久間米子・岡部雅子によって共同刊行された。


入手を希望される方はご連絡ください


(海燕書房、1988年刊)


・・・(山川菊栄)先生は、平和の問題を絶えず案じておられました。世をあげて泰平ムードにつかっている時期でも平和を説き、ファシズムと戦争への警告を怠ることはありませんでした。今、憲法の危機が叫ばれ、戦争への不安が高まっておりますが、先生は早くからこのことを見とおされておったようでございます。婦人問題懇話会は思想、信条、政党政派を問わず、婦人問題を勉強したいという方は誰でもお入りになることができます。ただ一つの入会規則は、現平和憲法の改正に賛成の方はご遠慮願うという不文律がございます。これは先生のご意見によるものでした。(略)

<菅谷直子「山川菊栄先生の業績について」『婦人問題懇話会会報』
(34号:山川菊栄先生追悼号)1981年より>



■ 寝たきり老人というこの絶望的な状態に陥ったとき、普通の人間は落込むか、身の不運に焦立つか、いずれにせよ正常な精神状態を保つことは困難だろうと思う。ところが山川菊栄の場合は、いつも枕頭に書物と原稿紙とペンがあり平常通り冷静で暗い蔭はなかった。ある時、婦人問題懇話会の若い会員五、六人とともに見舞ったことがある。その中の一人が、
「先生にとって、いつがもっとも良い時代だったのでしよう」とたずねると、
「そりァ、今ですよ、今が一番よい時代です。言論の自由はあるし、男女平等も昔とは比べられないほど進みましたからね」(略)

<菅谷直子『不屈の女性-山川菊栄の後半生』116頁より>