活動年表

1961年
9月ー60年安保後の混迷の中、幅ひろく婦人問題を論ずる場が必要と考えて山川菊栄を中心として会の設立準備委員会を発足。
参加者‥山川菊栄、石井雪枝、伊東すみ子、菅谷直子、田中寿美子、渡辺恵美


1962年
4月-衆議院第二議員会館において「婦人問題懇話会」発会式、会員47名。代表はおかず、幹事8名で運営。家庭婦人、婦人労働、農村婦人、婦人運動・女性史、社会福祉・社会保障の五分科会をおく。
9月-菅谷直子(事務担当)宅に事務所をおく。

1963年
7月-『会報婦人問題懇話会』第1号(半紙判二つ折8ページのタイプ印刷、定価30円、部数200部)創刊。以後隔月でNo.12まで発行。家庭婦人分科会の研究成果として田中寿美子編『ビジネスマダム‐共かせぎ百科』(読売新聞社出版局)を出版。読売新聞社の新聞記者だった貴島操子の貢献が大きく、テレビドラマにもなり印税を得たことが財政基盤をつくった。

1964年
5月-規約中、「婦人」を「者」に改め、男性の入会を受け入れる。

1965年
12月 雑誌型会報発行の希望強まり、第1号(A5判、64頁、定価150円、部数500部)発行。

1968年
3月-会員有志により田中寿美子編『近代日本の女性像‐明日を生きるために』(社会思想社)出版。

1970年
9、10月-講座「70年代の婦人問題」(5回連続)を東京都教育会館で開催。
テーマ〝高度産業社会の婦人問題を中心として”。

1974年
7月-本会英語名決定、Womens' Problems Discussion Club(W.P.D.C.)
会報編集委員会発足。

1975年
12月-会員有志により田中寿美子編『女性解放の思想と行動(上下)』(時事通信社)出版。


1978年
5月-総会で規約改正、初代代表山川菊栄、初代事務局長菅谷直子を選出。

1980年
11月-山川菊栄代表逝去。

1981年
1月-事務所を参議院議員会館田中寿美子室に移転。4月より事務局を松田敏子が担当。
7月-総会で田中寿美子を代表に選出。

1983年
2月-事務局について「高齢化社会をよくする女性の会」(1982年設立、代表樋口恵子)の事務所に移転し同居する。
7月-総会で菅谷事務局長退任。駒野陽子が引継ぐ。事務局だより第1号発行(年4回)。

1984年
7月-会の名称を「日本婦人問題懇話会」(Japan Women's Forum)と改称.京阪神地区が支部結成。

11月-「ウイメンズフォーラム84」(3回連続)開催。テーマ〝ゆれ動く現代-女たちの明日を考える(家庭・労働・女性解放論)”。

1986年
11月-「ウイメンズフォーラム86」(3回連続)開催。テーマ〝生命科学と女たちの未来-変わる母性の意味(人工生殖・法律と医療・女の選択)”。

1987年
4月-事務局担当、松田敏子から福島和子へ、ついで6月に佐久間米子となる。
11月-創立25周年記念のつどいを全水道会館で開催。

1988年
11月-事務所を渋谷区代々木八幡駅近くに移転。

1990年
3月、9月、10月ー「ウイメンズ・フォーラム90」(3回)開催。テーマ〝日本の男たちはいま(政治・マスコミ)″。
11月-山川菊栄生誕100年記念シンポジウム”現代フェミニズムと山川菊栄”を津田ホールで開催。

1991年
会報51号より表紙デザインを変える。

1992年
9月-創立30周年記念のつどいを東海大学校友会館で開催。

1993年
7月~翌年2月「ウイメンズフォーラム93」(4回連続)開催。テーマ〝女性と家族-国際婦人年に向けて(個人と家族・法律・社会保障・家族のかたち)”。講座及び記録集の刊行に東京都女性財団より活動助成を受ける。

1995年
3月-田中寿美子代表逝去。社会情勢の変化などもあり、会の今後についての論議が起こる。
労働分科会、東京女性財団より研究助成金受託、転職アンケート実施。

1996年
4月-渋谷区の事務所を閉じ、連絡先を駒野陽子宅とする。

10月-懇談会を兼ねた総会で、閉会も含めて会のあり方を検討。幹事制度を廃止し、世話人制度を新設。代表世話人に駒野陽子を選出。

11月-「JWFニュース」No.1発行。

1997年
5月-「ふもんこびあ」(4ページ情報紙)創刊。

1999年
東京女性財団の活動助成を受け、会報のアンソロジー出版に取り組む。世話人会で会の今後について集中論議。

2000年
7月-世話人会で話し合っていた会の存廃について総会にはかり、2001年3月31日に閉会することを決定。

9月-『日本婦人問題懇話会会報アンソロジー・社会変革をめざした女たち』をドメス出版から刊行。出版記念リレートークと閉会のパーティを東海大学校友会館で開催。

2001年
3月-閉会。

2002年
1月 『日本婦人問題懇話会会報』59号・最終号刊行。一部有志により研究と運動をあわせて行う「ふもんこんネット」企画が提案された。

佐久間米子作成年表(『社会変革をめざした女たち』pp345-347所収)、菅谷直子『来しかたに想う-山川菊栄に出会って』所収年表(pp.36-39)を元にして、書籍タイトルなど一部補訂しました。)







・・・私たちがつくっている 婦人問題懇話会は、 大きくはないが、たいそうユニークな人柄をもった 婦人の集まりである 。(略)各部会別の研究会をしているが、ここ二年ばかり婦人問題懇話会会報として、会員の間で 研究したり討論したりしたことを資料として発行しているが、現時点で問題になるテーマをとりあげるし、討論の内容が古い型にとらわれず、独創性があるためか、私たちが予想しないほど需要があるので驚いている。 私たちがこの会をはじめたのは十年も前になるけれど、とくに研究活動は このごろ活発になってきた。(略)みな女が働くとはいったいどういうことなのか?女は人間としてなんなのだろう?母性をもつということはどんな意味があるのだろう?それらを解明して、自信をもって女の一生を送りたいのである。そして現代から未来の社会に向かって生きる女の方向に見出したいと思っている。
 私たちはそういう問題を、今後もあらゆる角度から解明しようと試みるだろう。・・・
<田中寿美子編『近代日本の女性像』(社会思想社、昭和43年)所収
田中寿美子によるあとがきより>





『日本婦人問題懇話会会報』
1965年から2002年まで刊行。全59号。


・・・会報発行は最初から最重要事業の一つであった。しかし、何分にも徒手空拳の出発である。資金つくりに一口千円のカンパを会員に募ったが三万円あまりしか集まらない。ついで会員に労力提供を訴えて、出版プラン、原稿代筆、ラジオ・テレビの番組企画、婦人学級の講師斡旋業を始めたが、講師あっせんを除き他は一件の申込みもなく開店休業となった。(略)会報一号が発行されたのは、一九六五年一二月の寒い夜であった。九段の衆議院議員宿舎で忘年会を開いていた。その席上で初めて会報が披露された。出席者の喜びは大きかった。とりわけ山川菊栄先生のお喜びは一方ならずで、あんな嬉しそうな輝かしい笑顔を拝見したのは長いお付き合いの中で後にも先にもなかった。この夜の光景はいまだに鮮やかに脳裏に焼きついている。
<菅谷直子「会報発行二〇年の思い出」
『社会変革をめざした女たち』(ドメス出版、2000年刊行)所収>













「事務局だより」のほか、1984年から
開催した「ウィメンズフォーラム」記録集の数々。